北京オリンピックの開催までの経緯とは?

北京オリンピックの開催に至った経緯ですが、01年7月、モスクワでの国際オリンピック委員会総会での投票によって、イスタンブール、パリ、トロント、大阪を破って決定されました。

総会の開催前には他にも5つの都市(バンコク、ハバナ、カイロ、セビリア、クアラルンプール)が開催地として名乗りをあげていたんです。

しかし、選出候補名簿の2000年中の提出が叶わずに、選考に残れなかったんですね。

第1回の投票では北京、パリ、トロント、イスタンブールが残って、6票の投票に終わった大阪は外されました。

そして、第2回投票で、北京が開催決定に必要な多数の票を得たため、選考は終了しました。

第2回投票での獲得票数ですが、北京が56票、以下、トロントが22票、パリが18票、イスタンブールが9票でした。

トロントやパリの招致提案が技術的に北京よりも優れているとの声もあったようです。

しかし、サマランチ会長のIOCは商業的な観点から、人口世界一と共に経済成長が著しい中国でのオリンピック開催に非常に意欲的であったと言われています。

中国(北京)にとってこの北京オリンピック開催の決定は、8年前の雪辱を晴らすものとなったようですね。

1993年9月23日、20世紀最後のオリンピックの開催地として決まったのはオーストラリアのシドニー。

北京はその当時の投票において、シドニーと決選投票をして、その末僅差で敗れているんです。
8年越しの夢が叶ったという感じでしょうね。
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